あなたには人に言えない趣味・趣向がありますか?
それによって、自分だけが社会から孤立していると思う事がありますか?
あってはならない感情なんて、この世にない。それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ――共感を呼ぶ傑作か? 目を背けたくなる問題作か? 絶望から始まる痛快。
新潮社HP https://www.shinchosha.co.jp/book/333063/
子供が生まれてからというもの、絵本以外の本には手をつけていなかった。
たくさんは読まないけど、元々本は好き。
何か読みたいけど、実際に読むまでには至らない日々が続いた。
ふと、ツイッターで仲良しのフォロワーさんが紹介していた、
「正欲」という本が目に止まった。
深い青。
真っ逆さまに落ちる鴨。
さも当然かのように書かれている「正欲」という2文字。
「正しい欲」とは?
なぜか分からないけれど、とても気になった。
そのツイートを見てしばらく日が経っても頭から離れず、ついに購入することにした。
仕事の休憩中に少しずつ読み進め、1週間ほどで読み終わった。
それから1週間が経っても、まだこの本の事が頭から離れない。
本書は「多様性」が大きなテーマとなっている。
今もずっと考えている。
「多様性」って、なんだろう。
「正欲」に書かれている多様性
本書は複数の登場人物の視点から描かれる。
自分の性的嗜好がマイノリティだと苦しむ人。
多様性という言葉をもって他人を理解しようとする人。
自分が理解できないものは認識すらしようとしない人。
性別・年齢・環境・思考が違うそれぞれの人物達が、「多様性」という言葉によって交差していく。
特殊な性的嗜好
詳しくは書かないが、本書に登場する「自分の性的嗜好がマイノリティだと思っている人」は、あるものに対する特殊な性的嗜好がある。
世の中の性的嗜好の種類をそれなりに知っているつもりだったが、この登場人物の嗜好は初めて聞いたものだった。
どうやら世の中には想像もつかないくらい様々な性的嗜好があるらしい。
こんな事を考えるのは自分だけではないか、「正しい欲」ではないのではないかと苦しみ、社会から孤立しているように感じている。
SNSが発達した現在、自分と同じ性的嗜好を持っている人を探すのはそう難しくないだろう。
しかし実際の生活範囲内で理解者を得るのは難しい。
最近pixivで「児童ポルノ」「近親相姦」「獣姦」「レイプ」「人または身体の非合法な切断」などのコンテンツについて規制が強化されたというニュースがあった。
こういった性的嗜好は、犯罪に繋がる可能性が考慮され規制される場合がある。
社会から理解されないどころか拒絶されることも。
やすやすと公言できないのがより孤独を感じさせるのだろう。
多様性という言葉
SDGsにより「多様性(ダイバーシティ)」という言葉をよく聞くようになった。
性別・年齢・国籍・思考など多様な価値観。
それらを理解し認めることが「多様性を認める・受け入れる」ということらしい。
ではあなたは「児童ポルノ以外では性的欲求を満たせない」という思考の人を認められるだろうか。
これは極端な例なのかもしれない。
でも、これも多様のうちの一つだ。
犯罪なんだから認められるわけない。と思う人が大多数だろう。
わたしもそう。
とてもじゃないが、理解も出来ないし認められないし排除してほしい。
「他人の人権を勝手に奪う行為」だと思うからだ。
今、社会全体で取り組んでいる「多様性を認める」という事が
これらのことも含むのなら、わたしは間違いなく「認められない」を選ぶだろう。
多様性が存在するということ
しかし私が認めなくても、理解が出来なくても「多様性」というのは確かに存在している。
100%同じ人間はいない。
一卵性双生児の双子であったとしても違う人間なのだ。
認められることで存在できるものではない。
認められないから存在できないものでもない。
ただそこに存在しているだけだ。
知っている・知らない・理解できる・理解できない
その考えもまた多様性なのだと思う。
「正欲」を読んで考えること
本書を読んで思ったのは、「誰もが他人を理解することは出来ない」ということだ。
今は楽しそうに笑っている人も、家に帰れば泣いているかもしれない。
人生を謳歌しているように見える人も、孤独を感じているかもしれない。
マジョリティも、マイノリティもそれぞれ違う問題を抱えていて、それぞれ苦しんでいる。
その苦しみに大小はない。
苦しみは自分だけのものだから。
ただ、
その苦しみを共有することが出来たら
共感してくれる人がいたら
どうにか生きていけるのかもしれない。
「正欲」を読んで良かった、そう思った。